エッセイ

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裸のおばあさんと裸の僕 方言がわからない中での裸の付き合い

温泉で女性と裸で対面する。そう書けば魅惑的なシチュエーションでしょう。しかし、この話に登場する「裸」は腰の曲がったおばあさんと、僕のもの。方言の強い言葉で話しかけてくるおばあさん。聞き取れず戸惑う僕。どちらも、全裸。
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みんなの母だった 祖母との思い出を綴ってみる

祖母が亡くなってからもう2年も経つらしい。3回忌をやると母親から連絡がきた。両親が離婚し母は働きに出ていたので、僕は専業主婦である祖母と過ごすことが多かった。
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公園でひとりぼっちになって『感情』を『流す』時間

公園でひとり、待ち合わせまでの時間をひとり、楽しむ。ひとりぼっちで何もしない時間は、いかに普段己の感情が凝り固まっているかに気付かせてくれる時間になりえるのだ。
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座高が高くて困る事 座高測定がなくなるですと!

僕、座高が高くてですね。座高測定がなくなるということを知って、改めて自分の座高のことを思い返した次第。悩んだこともあったわけです。座高が高いことに。
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自宅の隣の隣の小さな町工場のおっちゃんとの数秒の会話

夜、駅から自宅へと歩いて向かう時間。自宅近くに町工場がある。その小さな町工場のおっちゃんとの数秒の会話を、僕は毎日楽しみにしている。無条件で元気になれるのだ。
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写真加工のバイトをしていた時の『特殊加工』の話

パソコンのディスプレイは一面肌色。その中に、黒い点がポツポツ、と。点を消すのが僕の仕事。「わきをきれいにしてください」。写真加工、肌色に染めるのが僕の仕事。
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子供の頃どんな遊びをしてました?僕は「嗅ぐ」遊びにハマっていました

子供の頃、どんな遊びが流行ってましたでしょうか?僕がよく覚えているのは、小学生低学年の頃の、駄菓子屋さんから始まる遊び。メンコに匂い玉、そんなのが思い浮かびます。
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「ググれカス!」と会議中に人生で初めて言われたときの話

数年前のこと、会社の会議室で僕はただただ立ち竦んでいた。どうやら本気のようだ。笑いは、ない。「ググれカス!!!」この状況になったきっかけは、彼の放ったその言葉。
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『仙人』の肛門が僕に教えてくれた幸せが拡がる方程式

大衆浴場で出会った仙人、いや、仙人の肛門。僕は幸せが拡がる方程式をそのおっさん仙人の肛門と対面したときに学びました。幸せに繋がる情報を共有すると、幸せは増すのです。
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20年以上会っていない父親に会いにいってみようかと思っている

「お父さんとお母さん、どっちが好き?」小学校3年生の頃、母親にされた質問だ。僕は少し間を空けて「どっちも」と答えた。答えてから一ヶ月も経たない頃、両親は離婚した。
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風呂とその日1日とあいねくらいねなはとむじーく

長時間の入浴中に1日の出来事を感情別に振り返り、ドイツ語タイトル『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』の言葉の意味を理解することで、日々の感情に新たな彩りを与える試みを綴りました。 
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「はみ出さないようにしようとするな」習字の先生に教わった大切なこと

字は紙の中に収めるべきなのか。小学生の頃、苦労して習字を書いて提出した結果、先生から言われたのは思いがけない言葉でした。「どうして、はみ出さないように書いた?」
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「なんで?」って。なんですぐ「なんで?」って聞くのなんでなの?

「なんで?」よく耳にする言葉です。でも、否定的な意味合いを含んだ「なんで?」ってやつ。あの言葉の気力を削ぐ力といったらもう、相当なものだと思うのですよ。
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「何かやるにもキャパって大事」蕎麦打ちパーティーで痛感したのだ

友人を集めて蕎麦打ちパーティーをしました。パーティーは楽しいものになったのですが、蕎麦は完全に失敗。自分のキャパを認識しておくことは大事だな、と感じてる次第です。
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人間の多面性…『僕』は大きく分けると3パターンのようだ

僕の認識している『僕』と他人が認識している『僕』は違うようです。人から見た自分はなんだか他人みたい。大きく分けて3パターンの"人から見た『僕』"がいるようでした。
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床屋はワンダーランド!注文方法・頼み方からサービス内容まで店特有で多種多彩

床屋で髪を切ってきました。ものすごく短くなりました。楽しくて仕方ありません。想像と違うものがでてくる面白さ。『自分の基準』を超えてくるヤバさが床屋にはあります。
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一枚の絵と空。

早朝の曇り空の下、一枚の絵を何度も描いては壊し重ねる筆運びを通し、過去の経験に縛られず今という感情をキャンバスに描き続ける揺るがぬ決意を綴ります。そこに宿る創造の高揚を感じながら。
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無題(橙)

コンビニで買ったビール2缶だけを携え、スマートフォン片手にベンチに座り、街灯がピアノ鍵盤のように川面を照らす夜の川沿いで、孤独と静寂を見つめる心象を綴りました。瞬間を切り取るように。
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旅することをけっしてやめずに動き回ること

時間は消えても場所はそこにある教えを心に刻み、スーザン・ソンタグの『旅をやめず動き回る』言葉を時折噛み締め、ベルリンへの“戻る”決断を胸に、実体験と共に旅する自由と場所が紡ぐ心の再生を綴りました。
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人が集まる家はいい家だ〜たこ焼き器でアヒージョのすゝめ〜

人が集まることによってその家(空間)も魅力的なものになっていく…。人を招いてたこ焼きをやることがあるのですが、盛り上がるたこ焼き器でアヒージョ、おすすめです。