Green Dayの「Minority」を聴いていると、少数派でいたいという気持ちがそのまま言葉になっているように感じる。
大多数に属してりゃ楽だと同僚に今日はっきり言われた。
反対意見を言うと、波風たてないでくださいよって言われたりする。
対応が下手くそだと上に陰口叩かれたりする。
波風ったって微風なもんだから波もせいぜい10cmくらい。
そんな波に足とられないよ、って僕は思うけどどうやらそういうことでは無いらしい。
ずっと凪いでないと居心地悪いみたい。
でも凪いでる中にいたら、いくら帆を立てても先には進まないよ。
成長できないし、状況は良くならないんじゃないかな。
あー。
僕は少数派になりたい。
大多数に属していること自体が居心地悪いわけじゃない

多数派に属していることが嫌なわけじゃない。
元々団体スポーツやってたから、仲間と結束して目標に向かう楽しさは知ってる。
同じ目的に向かって仕事する楽しさも知ってるつもりだよ。
でも大多数ってやつは、その大多数に属している人たちが『仲間』だからこそ効果を生むものなはずなんだ。
『仲間』で無い人間にそのグループでの常識を押し付けようとしても本来通じないはずなんだよ。
だって、その常識はそのグループが勝手に作ったものだから。
側から見たらその常識は常識ではないんだよ。
でも、それを知ってか知らずか押し付ける人達がこの国には多い。
その大多数のグループの決まりで産まれた常識ってやつで縛ろうとする彼らが、僕は大嫌いなんだ。
その常識に従えば文句言われないのもわかってる。
それがその中では「正しい」から。
文句言われなきゃ楽だから、不満があっても属することに流れる。
その楽さが僕にはつらいし、反吐が出るほど嫌なんだ。
不満あるなら属するなよ。
属するならせめて文句言うなよ。
ってね。
自由ってやつをもう少し考えてみないか

同じ曲を聴くたびに、誰かに許可された自由ではなく、自分の目で見て選ぶ自由のことを考える。
自由ってなんだろう。
本来僕らは生きたいように生きるべきなんだと思う。
生きたいように生きることが自由だとするなら、現代はひどく不自由だ。
尾崎豊の「Scrambling Rock’n Roll」にも、自由を問い直すような感覚がある。
自由について考える歌がずっと残っているということは、僕らは今も同じような問いの中にいるのかもしれない。
それぞれがそれぞれの個々の自由を邪魔しない範囲で、自由が担保される環境が僕は理想だと思うのだけど、大多数の彼らを見ていると難しい気がする。
それでも、大多数の人達は少数派の人間に目くじらを立てる必要はないんじゃないかな。
よく考えて欲しいよ。
目くじら立ててるのって、自由に振る舞える少数派の人間が羨ましいからじゃないのかな。
まとめ
少数派でいたいという感覚と、多数派の常識にそのまま従いたくないという感覚。自分の中では、その2つがセットになっている。
『常識』や『一般的』ってやつが大嫌いだよ、ほんと。
大多数で言ってても別に構わないから、押し付けないで欲しいよ。